障害などを理由に子供をできなくする不妊手術を強制されたとして今日東京仙台そして札幌で3人が国に損害賠償を求める裁判を起こしました。
手術を行う根拠となったのは優生保護法という法律でした。
今夜はなぜ許されるはずのない人権侵害が法律が見直されるまでの半世紀もの間続いたのか考えます
解説のポイントです
優生保護法とはどのような法律だったのか
なぜ被害は見過ごされてきたのか
そして救済の課題についてです
優生保護法が施行されたのは戦後間もない昭和23年
不良な子孫の出生を防止するという優生思想の元精神障害や知的障害などを理由に子供をできなくする不妊手術が始まりました。
当時は親の障害や病気が子供にそのまま遺伝すると考えられていたからです
そして法律のもうひとつの柱が中絶の合法化です
大量の引揚者や出産ブームで人口が増加する中、食料や住宅の不足が深刻化していたからです。
当時の国会の会議の資料には人口の抑制と国民の質を向上させるふたつの狙いが記されています。
不妊手術は本人の同意がなくても医師の診断の上、都道府県の審査会が認めれば実施されました。
当時の厚生省の通知には身体の拘束や麻酔薬を使ったり騙したりしても手術が許されると記されています。
こうして国を上げて手術をを進めていったのです。
法律は平成8年まで施行され、およそ16500人が本人の同意がないまま手術をしていられました。
形式的には本人の同意を得ていてもハンセン病の患者など療養所での結婚を条件に結婚の条件に実質的には手術を強制されたケースを含めると被害者の数はおよそ25000人にのぼります
手術が最も多く行われていたのは昭和30年代でその後件数は減っていきますが平成に入ってからも実施されていました
今日訴えを起こした東京に住む75歳の男性です
14歳の時強制的に手術を受けさせられました
子供を欲しがった妻には亡くなる直前まで打ち明けることができなかったと言います
男性はこのまま胸にしまっておくことはできず裁判に踏み切った人生を返してほしいと話します
厚生労働省はこの問題についてこれまで一貫して当時は合法だったとして謝罪も保証もしていません
多くの人の人権を踏みにじってきた優生保護法、昭和40年代と50年代に見直しが議論されたこともありました
しかし、その過程で強制不妊手術が広く問題にされることはありませんでした
当時最も注目されたのは増加していた中絶の規制強化について、生命の尊重を掲げる団体が規制の強化を求めたのに対し、生む生まない女性の選択だとして女性団体が猛反発、結局国会に提出された改正案を廃案となります
優生保護法を改正する機会はあったものの別の議論の影に隠れ強制不妊手術の実態が明らかになることはなかったのです
法律の改正は平成8年になってようやく行われます
他の法律や制度との整合性が取れなくなったことが大きな理由です
前年には精神保健福祉法が成立、障害者の権利を尊重し福祉を手厚くするという政策を進めようという足元で強制的な手術をしている優生保護法は異質な存在になっていたのです
そして長らくハンセン病患者を強制的に隔離してきたらい予防法の廃止合わせて療養所の中で行われてきた不妊手術の法的根拠となってきた優生保護法も見直されたのです
当時海外から非難の声が上がっていたという事情もありました
なぜもっと早く法律を見直すことが出来なかったのでしょうか
法律を所管していた当時の厚生省の官僚たちはおかしな法律だと思ったが何十年も肯定されてきた法律を否定するのは躊躇したとか、法律が誤っていたとなると国家賠償の対象になるので慎重にならざるを得なかったと証言します
たとえ人権を著しく侵害する差別的な法律であっても一度作ったものは簡単には見直せないというのです
そもそも優生思想が盛り込まれた情報についてはしにほう読み方とか自分かしていたと認識していたと言います
つまり実害のない法律だったというのです
しかし実際は平成に入ってからも数件手術は行われていて法律が生きていたのです
こうした法律が半世紀もの間残った理由は三つあると思います
一つは今見てきたように官僚の過去の政策の否定完了の過去の政策の否定は許されないという考え方です
そしてもう一つは被害者が声を上げられず被害の実態が明らかになってこなかったということです
手術を強いられた人の中には障害が重く声を上げられないという人もいると見られます
そして障害者が子供を育てるのは大変だと言われ手術に同意させられた家族は後ろめたさで声をあげられなかった、こうした事情も考えられます
さらには私たち社会もこうした人たちに目を向けてこなかったということがあります
自分と同じように尊厳や権利が守られているのか思いを致さなかったのです
被害の実態が明らかにならない中、問題は埋もれ行政だけでなく政治も動くことはありませんでした
その反省から反省から今政治の救済を図ろうと議論が進められています課題となっているのが時間の壁です
手術の記録など終了の多くが保存期間を過ぎ廃棄されていると見られています
ではどうやって被害を特定し救済を進めていけばいいのか参考になるのが海外の仕組みです
昭和50年まで障害者への不妊手術が行われていたスウェーデンでは政府が謝罪した上であなたの法律を作り被害者に補償金の支払いを行いました
この中では当事者の言い分を尊重すると共に新たに作られた保障委員会が本人に代わって病院などから必要な資料を入手し被害を認定しました
被害者はすでに高齢化が進んでいます
当事者だけでなく医療機関や施設の関係者など埋もれた被害の断片でも知っている人の証言を拾い上げ速やかに救済を進める必要があります
そしてもう一つ忘れてはならないのは国の責任で問題を検証することです
同じように国の政策の誤りが問われたハンセン病の問題では検証会議が2年半にわたって調査を行い被害の実態に加え専門家やメディアなどの責任を明らかにしました
この経験を生かさなければなりません
優生保護法を長年許してきたのは私たちの社会でもあります
人権を踏みにじられた人たちに目を向けてこなかった責任を重く受け止め事実に基づかない考えや偏見を持つ他の人を傷つけていないか絶えず考えていく必要があると思います